ポッキー飼い主の独り言

ゴルフ、旅行、etc 投稿します、昭和生まれです。

嫁ぎ行く娘へ、、。

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        後一週間で、我が胸から去って行く娘。

昭和58年5月24日に、私そっくりの色黒の顔で生まれた娘。
結婚して一年目で出来た初めての子供で、名前をナンテしようか迷っていた。

私の今まで知り合った数多くの女性の名前が、頭を過ぎった。
そして、付けた名前、皆から「そのちゃん」と呼ばれて親しまれている。
   
    よかったーー、そんな感じで、その名前の人も呼ばれていた。

生まれつき私に似ていたからか、私と行動を一緒にしたがったり、
ほとんど私に言う事を聞いてくれて、私とカミサンとの喧嘩でも味方になってくれていた。

小中学校の授業参観、高校の学級懇談会も私が参加して、
高校の担任の先生とは、懇談会の後には、チャント飲み会まで付き合ってくれて、
一層、娘の成長を楽しませてくれた。
その先生も、披露宴にはお出で頂けるので、楽しみにしている。

高校受験とか大学受験の学校での進路指導も、全て私と二人での決定だった。

4年間の大学生活は、ノビノビさせ過ぎた(親からしたら)ように思う。
佐賀での一人暮らしでは、コタツ暮らしが定番なってしまい、こっちに帰ってからでも、
それがすっかり板についてしまって、冬の電気メーターをアップさせていたようだった。

大学生活で、先に親元を出て行った娘だけど、1年後に、京都に息子が大学進学して行った。

家計は、大変な困窮状態。
カミサンの収入に大変な負んぶをお願いして、
二人、無事に「卒業」の二文字を叶えさせる事が出来たのだった。

娘は、しっかりと4年間勉強をしていたら、就職試験でももたつく事はなかっただろうけど、
2年間の浪人生活で、やっと社会人として認められるようになった事に、私は大変嬉しかった。

最近では、
数人から色白の浅尾美和(ビーチバレー)と言われて喜んでいるむすめだけど、、。

家族で暮した27年間はあっという間に過ぎ去り
そして、今週末には、今まで暖まっていたコタツから、更に暖かいダブルのベッドへと寝床を変えて行く。

  もう少し、もう少しでいいから、一緒にいたいんだけど、、、、、?


                          ポッキーの散歩には、たまに来て頂戴。