12年前、こう言って川辺川ダム建設が中止された。
そして、12年後に人吉球磨地方は、
その本流、球磨川が氾濫して、多数の死者や床上・下浸水の被害を受けた。
県からは意味が分かる説明をしてほしいです。
民主党が政権を取る時、八ッ場ダム建設時に「コンクリートより人」と言うメッセージを前に出して、八ッ場ダム工事を止めさせて、しばらく政権を担った。
その時が、
その民主党のマニフェストと樺島県知事のダム建設政策が一致した瞬間のように思う。
これから今までの通りのようにそれをやらない様に言っている。
ダムに頼らない政策って、「今まで何をやって来たのか?」回答して欲しい。
そして、
ダムじゃないダムを作って大丈夫なのか?
ダム建設するにあたって、
何年後にそれが出来るんです?その頃は、どうなっているのか?