ポッキー飼い主の独り言

ゴルフ、旅行、etc 投稿します、昭和生まれです。

隆吾、お兄ちゃんとなる

5月の澄んだ空気と爽やかな風が麦畑に吹いている。
麦の穂をたなびかせているその風の足跡を、ついつい目で遠くまで追いかけてしまう。
そんな5月の20日、深夜1時半、私の携帯が鳴った。
その晩はシッカリ寝よう!と思っていたのが0時、しかし、それはその時間でお終いとなった。
「もしもし、生まれました、1時28分に女の子でした」と娘婿。    立ち合い出産を希望している夫婦故に、
娘からの「陣痛が来ている、生まれそう!」のTELで、その婿は産院へ行っていたのです。

一人目の隆吾の時は、その婿殿、大変な感激の様子で、
お産の大変さや命の偉大さ、その他色々と口には出さずとも受ける口調から察したのでした。 今回は2度目からか落ち着いた雰囲気で、娘(嫁)を見ていたようでした。
その日は、朝の5時に産院から帰って眠りに就こうとするけど、隆吾の寝返りで眠れない模様、
実を言うと、私もその1時半からずっと眠れずに起きていて、こうなったら今夜しか眠れないだろうと覚悟を決めて、ボランティア活動の会議案を練っていたのでした

その日は、睡眠十分な隆吾を保育園へ登園させて、夕方に産院へ全員で出掛けたのでした。
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                 初めての対面に、この表情で赤ちゃんを抱っこしています。

こうして外孫に二人、内孫にも二人と私達は恵まれました。
100年先までの命のバトンタッチ」が出来て、ホントに幸せだと思っています。

暫くして、その産院には、隆吾の従兄(小1)がやって来て軽い鬼ごっこが始まっていて間もなく、隆吾がつまずいて柱の角にゴッツン!
旗本退屈男の称号の様な傷を額に付けて」その傷に沿って大きなタンコブ。
一緒に遊んでいた従兄やその母親もビックリする位にみるみるうちに腫れ上がって濡らしたタオルを鉢巻にして、その部分を冷やすのに大変だったのでした。 結局、その夜の3時には、日赤の救急外来に行って見せたと、後日談でした。  こっちの子育てもこれから大変手のいる様子です。

私に負担が掛かって来るのは覚悟しているけど、息抜きもさせてくれないと、私の息が続かないと思う。 子守と家事の二つは、後2年位の役目なのだろうかなー?  頑張ろう、、、、、、、、。